When Wind and Humanity Play

(Wonder Fruit Festival / タイ / 2024)

自転車、発電機、モーター、プロペラ、中古のパラシュートの布

便利な生活を手に入れた私たちは、一方で自然環境と対話する時を迎えている。しかし人は、自然に影響を与える人工エネルギーを利用しないと生きていけない。

この祖先の森と呼ばれる場所は、2年前に人の手によって木々が植えられた。早くも、今は見上げる高さに成長している。
木々が取り囲み、風が吹き抜けるこの場所で、自然と人が戯れる時間を生み出したい。私たちは風を眺め、感じ、お互いに語り合うだろう。エネルギーという使者を介して。

風上を捉える

(テラスアート湘南・テラスモール湘南 / 2023 )
熱昇華転写プリント、モーター、ソーラーパネル、ステンレス、アルミなど
上部の作品は風上の光を捉えた写真作品「Windgraph」を立体化した風で動く、風を可視化した翼である。 目に見えない風はどのように生まれ、やってくるのだろうか。コロナウイルスに翻弄された我々は世の中が改めて不確実なも のだということを目の当たりにした。気まぐれに吹く風は不確実の最たるものだろう。 それと同時に風は雲を作り、運び、雨を降らせ、時に大地を潤おし、そして時に災害となって我々の命は脅かされる。まさ に自然によって我々は生かされていることの象徴的存在である。

この作品の下部にあるもう1つの風上は、人工エネルギーである。電球とソーラーパネルという電気エネルギーの象徴を利 用して、モーターやギヤを介しタービンが動き、1分間のうち30秒間の間隔で定時的に風を起こす。 金属を中心に制作されたこの立体は人工であり、エネルギーを象徴する。

時折自然の風で動いているように見えるこの作品の風上を辿ると人工的なエネルギーが関わっていることがわかる。一方で windgraphは自然の風上を写真として捉える視点を持つ。人と自然の双方の関わりを風上という不可視な存在から考える。

Invisible Cooperation

(HIBIYA BROSSOMS / 東京ミッドタウン日比谷 / 2021)

杉・ヒバ・桐・神代タモ・ブナ・ステンレス・ソーラーパネル・モーター・ベアリングなど

展示場所の東京ミッドタウン日比谷は、高層ビルが立ち並ぶ都会の中心にありながら、日比谷公園や皇居といった都内随一の自然を見渡すことができる。まさに人と自然が向き合うのにふさわしい場所である。 

昨今の「ウイルス」の脅威は、改めて私たちが自然の中に生かされているということを気づかさせた。この作品は軸を中心にして、半分は木材でできた自然の風を受ける翼、そしてもう半分はソーラーパネルで発電したエネルギーで風を起こす翼となっている。ソーラー発電はクリーンなエネルギーだが、内部に有害物質が使用されている自然環境に影響のあるテクノロジーである。

無風時は太陽光発電によって一定の回転する動きを見せるが、自然の風が吹くとそれを受けて翼の動きは機敏に変化する。薫風となって吹き抜ける自然の風と、発電という人間のテクノロジーを対峙させることにより、双方が時にぶつかり合い、また時に協働する。
春の暖かな風が吹く中で、都会の中心で自然と人の関係性に思いを巡らす。

【東京藝術大学×東京ミッドタウン日比谷】

存在と痕跡

(中之条ビエンナーレ2019 / 群馬県中之条町 / 2019)

古木材・和紙・樹齢130年の丸太・糸・モーター・ベアリングなど

様々なものが可視化されている現代において、見えないものを想像することは難しくなっているのかもしれない。

土地柄として大風が吹き、かつては屋根が吹き飛んだ場所であることから昔からこの土地では風は自然の象徴的な存在であると言える。
一方で材木商で一財をなした群馬県で最大級のこの大屋敷には、かつての繁栄や影響力を持った痕跡が、まるで切り株のように今も残っているように感じる。屋敷の外には、屋根と柱だけで建てられた風通しのよい木小屋があり、かつては使用人も住んでいたこの家で使う大量の薪が保管されていた。
地域の住民に話を聞かせてもらったが、当時の威厳からか、未だに近づくのが恐れ多いという存在だという。今は空き家になっている建物に、見えない存在感は残っていると感じた。

私は、この大屋敷のそばにそびえ立ち、その歴史をずっと見てきたであろう、樹齢120年を超える大木の杉の丸太に、この場所に吹く風の痕跡を残すことにした。 年輪は歴史の痕跡であり、そこに風という見えないものの存在を痕跡として層を重ねる。

2階に風で揺らぐ巨大な翼を設置し、その動きが糸を伝って1階に設置された滑車と鉄筆に伝わり、樹齢130年の丸太の上に塗られたロウを削り、風の痕跡を残す仕掛けをした。一方で、丸太は電気モーターの力で一日一回転し、痕跡 を残す鉄筆の位置は常に変わる。会期の1か月をかけて風と電気の動きの双方によって丸太に痕跡が残されていく。

一方で、この原風景の広がる山間集落に突如として現れる鉄塔。福島や新潟で作った電力を首都圏に送り続けてきた電力網である。中之条町は福島第一、第二原発と新潟の柏崎刈羽原発からの送電線の交差点となっている。原発事故以降、誰もがエネルギーの存在に関心を抱いたが、時間が経つ中でその存在は問い続けなければならない存在である。エネルギーの問題は絶え間ないが、人はそれから離れることはできないだろう。それを問うために風とエネルギー両方の力を利用して双方の痕跡を残すことにした。

不可視であるエネルギーからも不可視である風を始めとした自然からも生かされてる人間の生活は、まさにこの年輪の上の痕跡と同様である。この痕跡を客観視した時、我々に何か新たな気づきを与えてくれるかもしれない。

NUKEGARA 旧原泉第三製茶工場

(原泉アートデイズ / 静岡県掛川市原泉地区黒俣 / 2019) PET板、PETボトル、茶畑の映像、お茶農家さんのインタビュー
山合いの集落で一際目立つこの建物は以前稼働していたお茶工場である。当時は集落のいたる所にお茶畑があったが、お茶の消費量が減った現在は山上の茶畑のみだ。

ペットボトルの台頭によりお茶の生産量は年々減少し、お茶農家は存亡の危 機にさらされている。この場所も十数年前までお茶工場として稼働してい た。 お茶は産業でもあるが、日本の文化でもある。利便性が優先される昨今、文 化は意識的に守らないと後世に残すことは難しい。 のどかで美しい風景が広がるこの土地で日本の縮図を垣間見る。

並べられたペットボトルの上に、同じ材料であるペット板を使用してお茶に関わるものを型どった透明な抜け殻を配置した。そこに集落で唯一残るお茶畑の一日の風景が投影される。入り口にお茶農家さんのインタビューが上映され、現状を話す生産者の言葉を聞いてから会場に入るインスタレーションとして構築した。

風の痕跡 -六甲山- 

(六甲ミーツアート / 兵庫県六甲山 / 2018) アルミ・鉄・ベアリング・チス・六甲山の御影石など

瀬戸内海を見下ろす六甲山は、海から近いにも関わらず標高が1000m近くある。特徴的な地形は激しい気象の変化をもたらし、「六甲おろし」で知られるような強い風をもたらす風の名所だ。およそ3ヶ月ある展示期間、この六甲の風を利用して六甲山麓の御影地区がルーツである「御影石」に風の痕跡を残す試みを行う。

作品には風を受ける大きな筒が3本あり、その中にはタービンが入っている。強風でタービンが周り、その動きを利用してチスが上下に動き、御影石を叩く。尾翼のような翼は御影石の向きを変え、風向きによって叩かれる場 所が変わる。3ヶ月の風の通った跡が石に刻まれていく。 目に見えない風の痕跡は、季節の変化を通じてどのように石に刻まれるのだろうか。
数万年の月日を経て生まれた六甲山の御影石に、今、この瞬間に生まれる六甲山の風の痕跡を記す。

風と土の接点

(中之条ビエンナーレ / 群馬県中之条町 / 2017)回転簇、天蚕糸、アルミ蒸着フィルム、ヘリウムガス、ベアリングなど
田んぼの真ん中に浮遊して、風になびく銀色の翼と、その動きに合わせてする動く古びた数々の木枠。 群馬県中之条町はかつて養蚕が盛んで、この集落でも世帯のほとんどが養蚕を行なっていた。同じ土地で同じ仕事をするということは地域で助け合い、生きていくためでもあった。

今、養蚕業は風前の灯火だが、土地が積み重ねて来たものは今に生きている。回転簇(かいてんぞく)と言われる養蚕の道具の木枠を土地のものとして下の翼に、それに連動して動く翼を、ヘリウムガスで浮遊させて上の翼とした。 飛ぶことは人間にとって永遠の夢だと思う。土地の歴史や積み重ねが未来の夢へと繋がっていくという関係性を風の動きで示す。